2007年08月06日

ゴッホのひまわりの絵について

兄が大切にしているゴッホの画集は、当時私が小学校四年生の頃に買ったものですから・・・今から約四十七年前ぐらいですか・・・当時としてはカラー印刷での画集はとても貴重なものでした。

その画集で、兄が模写した麦畑や糸杉の絵は兄の模写を見て感動したものですが、どういうわけか、ひまわりの絵を見て「なんとへたな絵だろう・・・」と思ったものです。それはひまわりの写実というより具象的絵画で色彩的にも納得がいきませんでした。

しかし、社会人になって美術館で見たときのひまわりの絵は、人をひきつける何かを持っていました。恐らく、当時の写真画集では色彩が劣っていて実物の生々しさを伝えることは出来なかったのだろうし、複写では伝えられない何かがあると思います。もし、あの時ひまわりの原画に出合っていればゴッホの絵に対する見方がもっと早くに変わっていただろうと思います。

ゴッホが切り開いた絵画芸術は日本の平面的なものから発した自己の想像力を最大に表現したものですが、画家の精神的想いを絵に表現することで自我を芸術として具現化したものであると思います。

絵画鑑賞はやはり、原画に接することが大切ではと思っています。それは後に見ることになるゴヤの『裸のマハ』でも実証されました。それはとても私に大きな感動をもたらしました。

by 大藪光政
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2007年07月27日

絵心とは・・・思い出を語る。

私の一番上の兄は、絵を描く才能がありました。それで兄弟の中では絵に対しては私は目立たない存在でした。

しかし、小学校の図工は得意な学科でしたからやはり好きだったのでしょう。でも、絵を描くときは兄のうまさに対して引け目があっていやな気分がしたものです。その点工作は兄よりも得意でしたので図工はトータルで成績が良かったようです。

兄は、模写も得意でした。ゴッホの絵を水彩でまねて描いたものを見てすごいと思ったことがあります。その影響で、絵画に対しては当時の小学生では西洋絵画にいち早く触れる機会があったと思います。つまり、私が最初に触れることができた西洋絵画はゴッホだったのです。

これが絵画に対する私の原点だったと思います。
しかし、私には絵心がないのではないかと思ったコンプレックスみたいなものが当時ありました。

私が本格的に絵に接する機会が増えたのは、大学を卒業して職についてからになります。  

by 大藪光政
posted by ゴヤの弟子 at 14:43| 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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