2008年01月07日

坂本繁二郎の絵について想うこと・・・

坂本繁二郎は、八女の出身です。八女は私の父の実家があるところなのでなんとなく、親しみがあるふるさとなのです。八女の由来は、わが国最古の歴史書「日本書紀」に”この地方に女神あり、その名を八女津媛といい、常に山中にあり”という一節があるそうで、これが八女という名前の由来だそうです。

現在は、筑後市、久留米市、八女市とわかれていますが、恐らくこの一帯を指すものだと思います。それは、先ほど八女の出身と言いましたが、厳密には繁二郎は久留米の出身で、私の実家は筑後市です。でも、父は実家の所在地のことを八女といつも言っていました。

自論ですが、芸術としての作品には、かならずその作家の生い立ちが必ず強く影響していると思います。作品の表皮には現れないかもしれませんが、奥深いところに潜んでいると踏んでいます。

繁二郎の『うすれ日』という作品について、漱石が展覧会の批評として朝日新聞に論評している内容で、「・・・牛は沈んでいる。もっと鋭く云えば、何か考えている・・・」といったくだりがあります。

おそらく、この漱石の論評に対して意を強くして率直に喜んだと思います。日本人が水彩から油彩に手を出すということは、単なる技法の切り替えだけでなく、作品の趣までをどう変化させていくのか?といった課題が生じてきます。

油彩は創作過程において、画具の特性から水彩とは違って描き直しが何度でも出来ます。ですから、どんどん描くことで最初とはかなり違った作風になることもありえます。

そうした創作プロセスの違いから描くべき課題と精神との葛藤も日本画とは異なるはずですが、そうした技法を克服していけば・・・畢竟、自身の自由なる精神描写となっていき、西洋だの東洋だのといった画風を超えて・・・あるいは融合されて落ち着くところに落ち着くのでしょう。

画風とは自身の精神がイマージュすることでありますから、その帰着点が繁二郎にしてみれば八女の風土が醸し出した素朴な魂・・・そのものだったような気がします。

そして、私が繁二郎の作品に愛着を覚えるのも、父を育てたその風土そのものだからでしょう。繁二郎の作品は、故石橋氏が石橋美術館を建てて保存されてくださったのですが、父と石橋氏とは一時ではありますが、仕事を共にしたこともあり、それも何かの縁ですので時々そうした思い出話を回想しながら、繁二郎の作品を懐かしく眺めています。

by 大藪光政
posted by ゴヤの弟子 at 11:33| 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。