2009年09月22日

阿修羅展を観てから・・・



久し振りに、このサイトに投稿します。
先月の八月四日、九州国立博物館に阿修羅展を観に行きました。

今頃になってその感想を書くのもなんですが、ニュースで、九月の最終日頃になるまで何十万人もの多くの人が見物に来訪していることを聞くたびに、あの"物寂しい顔"を思い出し、ちょっとブログに書いてみようか?などという気持ちになりました。

朝日新聞社から招待券を頂いたので行こうとした矢先に、七月末の大雨で高速道路の九州縦貫道にて太宰府間が不通になり、博物館駐車場も一部使用不能となったこともあって、八月の初めに行きました。

道中は、いつもはスムーズに流れている通常の道路も、博物館の近郊は混雑していて、通常の倍の時間が掛かりました。駐車場へ行く途中は、満車の看板と、手前での駐車を勧誘する看板が立っていましたが、午前中でもあったし、そんなに込んでいないだろうと思って行けるところまで行ってみましたら、なんなく、すぐに入り口の中の駐車場まで行くことができました。

もともと、人混みが大嫌いですから、平日の午前を狙って行ったので、まずまずでした。しかし、館内はやはり人は多く、阿修羅の立像があるテーブル周辺は混んでいました。しかし、無理することなく鑑賞することができました。

展示は、阿修羅だけでなく、八部衆像と十大弟子像なども展示されていて、これらの仏教美術品を360度の角度から観ることができるのは、稀なことのようです。他にも四天王像や釈迦如来像の頭部、中金堂の鎮壇具なども展示されており、当時の技術力の高さを知ることが出来てすごいなあ〜と感心しました。

今となって印象に残ったのは、やはり、阿修羅と迦楼羅(かるら)でしょう。迦楼羅のような鳥頭人身像は、鳥獣戯画を彷彿させるような奇怪な顔をした像なので心に留まっています。

阿修羅の顔の表情は、見る人によって解釈が色々あると思います。{{keyword:私}}の場合は、なんだか"不安そうな心配顔”といった感じがします。

それは、科学技術がこんなに発達して生活を豊かにし、病を克服する医学も進歩したのにもかかわらず、本当に幸せなのか?といった疑問に通じているような社会不安状況を指摘しているようです。

何十万人もの人が、この阿修羅を見に来る動機も、ある意味で社会的不安から、本物を求める気持ちと、どこかで繋がっているような気がします。

しかし、その阿修羅の顔を見ても、やはり、不安な顔をしているのですから、その不安げな顔を見て、自分を発見したような気持ちで皆さんは安心して帰るのかな?と、思わないわけはないですね。

まあ、見方は人それぞれなのです。見方によっては、物寂しげな風にも感じられますし、悲壮感もあります。

面白いことに、顔の半分ずつ表情が違うというこを、画像解析で確認できましたが、半分は、少しぼやけたところがあり、その目が潤んで見えるようです。これが、阿修羅を傑作な作品に仕立てた仕業なのかもしれません。

日本人は、こうしたマイナーな表情が、音楽で言うと短調の調べが好きな国民ですから、やはり、多くの共感を得られるところでしょう。

昨今の不況においてこうした慰みが大いに受けるところかもしれません。こうした仏像の加工技術は世界に類のない特殊な技術ですが、これが今日まで維持されてきているのに驚嘆するしかありません。

仏教美術がいつの間にか、信仰心のない人々までに共感を得ているというのは、まさに、本物と言わねばならないでしょう。

by 大藪光政
posted by ゴヤの弟子 at 16:46| 未分類 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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